大阪漢方鍼医会設立の経緯と30年間の歩み

 

  1 大阪漢方鍼医会の設立

 大阪漢方鍼医会の母体は、1993年(平成5年)の4月に東京で設立された「漢方鍼医会」です。この会は、「東洋はり医学会」から別れた有志らが中心になって結成されました。「漢方鍼医会」は本部と地方組織と言うやや自由さを感じる組織構造でスタートし、30周年を迎える現在「2023年」もこの方針は守られています。また、運営の仕方も、研修会方式のため、ボトムアップと言う面がやや強くなっています。

 しかし、会員が流動的になったり入会希望者で鍼灸を一から志す人たちが増えてくるにつれ、この方式だけでは立ち行かなくなったために、講習会方式と研修会方式との両方を会の中で運用することが提案され、これが現時点ではスタンダードになっています。つまり、入門部や入門講座は講習会方式で行われ、これらを卒業すると研修や研究の部に進みます。

 

 2 大阪漢方鍼医会の前身

 大阪漢方鍼医会の前身は、東洋はり医学会の浪花支部です。「東洋はり医学会」とは、1959年(昭和34年)に、福島弘道先生と、小里勝之先生らによって設立された、視覚障碍者の経絡治療家を中心とした鍼灸の学術団体です。

 

 3 大阪漢方鍼医会設立時の顔ぶれと変遷

 東洋はり医学会の浪速支部が直接大阪漢方鍼医会に移行したのではなくて、浪速支部が北摂支部と浪速支部とに分裂すると言う段階がありました。

 残りたい人たちあり、新たな船出を選択する人たちありで、組織全体が揺れた時代でしたが、幸いにも北摂支部の場合、支部長の田布施嘉秋氏を始めとする支部員全員が漢方鍼医会に加入することに賛成したために、大した混乱はありませんでした。そして、平成5年(

1993年)8月28日付で大阪漢方鍼医会の設立が、「漢方鍼医会」の本部より承認され、田布施嘉秋代表を先頭に船出をしました。その後、平成16年1月から森本繁太郎氏が、平成17年の4月から中本功一氏が、平成21年4月から岩本興次氏が、平成23年4月から福田純二氏が、平成25年4月から小池まき子氏が、平成29年4月から本田滋一氏が、令和2年4月から竹下祐平氏が代表を務めています。

 

 4 大阪漢方鍼医会設立時の学術方針

 母体である「漢方鍼医会」がなぜ設立されたかですが、「東洋はり医学会」の中で、これからの鍼灸の世界は学をもっと高める必要があるとの意見が、上がり始めました。当時生理・病理の必要性を説かれていた愛媛県今治市の鍼灸師で薬種商「漢方陰陽会」会長の池田政一先生を招聘したのですが、講演内容に関して、大変理路整然としたものと、多くの会員が感じたようです。そして、これからの鍼灸の世界は、東洋医学における生理や病理が大切になると考えた勢力が「漢方鍼医会」を設立しました。

 「漢方鍼医会」には、脈状診その中でも『難経』五難に説かれている菽法脈診法と漢方病理考察と言う学術の大きな2本柱はありましたが、発足時の実情はと言えば、手探り状態と言うのが正直な所でした。『難経』を基本に論を展開する人は多かったものの、会を設立してから数年間は池田先生の理論に負んぶに抱っこ状態と言っても過言ではありませんでした。会員の大半が池田先生の理論をそこそこ理解した頃に、副会長の福島賢治氏より「我々がやっている治療を(漢方鍼治療)と命名したい。」との提案がありました。

 

 5 大阪漢方鍼医会の学術の推移

 設立時は『難経』で培われた学術の延長に池田先生の理論を組み込んだものが行われていました。その後、『素問』や『易経』等、東洋医学の根幹とも言うべき書物の講義がなされました。その内、理論的にはとても切れ味の良い中医学を学ぶべく、「中医病因病機学」の学習をしたこともありましたが、これらが会員の臨床になかなか直結しないことが悩みでした。その後、季節の治療が本部でも大阪漢方鍼医会でも話題に上がるようになり、これに取り組む人が現れ始め現在に至っています。

 

 6 大阪漢方鍼医会主催の夏期学術研修会について

 諸事情により近頃は毎年は行われなくなったものの、「漢方鍼医会」の設立と共に、夏期学術研修会が本部と地方組織が持ち回りで開かれ、現在のところは第24回を重ねています。その第3回(田布施代表)と、第11回(森本代表)と、第19回(小池代表)と、第24回(本田代表)を主宰しました。

 

 7 講習会から研修会への意識改革と、毫鍼からていしんへ

 本部でも地方組織でも、東洋医学における生理や病理に関しては集中的に学んでいましたし、気血津液論への理解もそこそこ進んでいましたが、どうすればこれらが臨床に生かせて、なおかつ治療効果をあげることができるのかが、ほとんど見えてきませんでした。そんな折に、地方組織から『難経』の七十一難と七十六難とをベースにした「営衛の手法」が本部で提案されました。紆余曲折はあったものの、この頃から「漢方鍼医会」の本部も地方組織も、「営衛の手法」を鍉鍼で行うことで、気血津液を調整し、五臓の精気を高めると言う治療の流れが始まりました。

 

 8 大阪漢方鍼医会が主催した外来講師講演

 大阪漢方鍼医会は、これまでほとんど外来講師の力を借りずに学術面を運営してきました。しかし、過去に2度だけ外来講師を招聘したことがあります。1度目は、2008年(平成20年)7月20日に柿田秀明先生による「気の医学と用鍼」の演題でのご講演と、紙で製作された鍼での実技公開をしていただきました。2度目は、2014年(平成26年)3月16日に大阪漢方鍼医会創立20周年記念大会が開催されましたが、その折『ハイブリッド難経』の著者である割石務文先生に、「陰陽五行と五味、五行穴の関わり合い」と言う演題でのご講演と実技公開をしていただきました。どちらも会員にとって大変勉強になるものでした。

 

 9 大阪漢方鍼医会の宿泊研修会について

 大阪漢方鍼医会も、過去に2度1泊2日の研修会を行ったことがあります。1度目は2009年(平成21年11月22日)に、京都府綾部市 ホテル広子園で行いました。当時の学術は、気血津液論をベースにしていたため、診察から治療までこの論でまとめられていました。プラス「往診のコツ」がこの研修会の特徴になりました。2度目は、2011年(平成23年9月18日と19日)に、シーパル須磨で行いました。この時は、『難経』四十九、五十難を基本にして、色・臭・味・声・液の状態を気として捉えられるようにすることが、実技のテーマになりました。

 

 「漢方鍼医会」の細則の中に「学術研究は固定化されたものであってはならない。必ず臨床的に繋がる学術である事。」との文言があります。これこそが研究や研修を標榜している会の姿です。切磋琢磨できる機会があることは、会や会員の屋台骨を鍛えることになりますので、この精神は是非皆で守り続けたいものです。